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富山の置き薬の歴史

富山の置き薬の歴史

置き薬発祥の地

薬と言えば富山というように置き薬を始めたのは富山藩です。
それ以前は薬を売り歩く行商というスタイルの薬売りはありました。

それを置き薬のスタイル(配置薬)として、お客様の家に薬を先に預けて定期的に訪問し、その使ったお薬代だけをいただくと言う、置き薬の廻商(かいしょう)スタイルで始めたのが富山藩でした。

薬は貴重品で有り、質のいい薬を身近に置いておき、困ったときにすぐ使えると言うこと。代金は使った分だけでいい、と言うことで瞬く間に全国に広がったそうです。

江戸城腹痛事件

その始まりは330年あまり前のこと。
富山10万石の2代目藩主前田正甫公は質実剛健を学んで、自分で生薬の調合もするという名君でした。

その起源として最も知られているのが、江戸時代「江戸城腹痛事件」です。

1690年のこと。正甫公が参勤で江戸城に登城したおり、江戸城内で突然激しい腹痛に見舞われ苦しむ三春藩(現在の福島県)の藩主に、富山は二大藩主・前田正利甫公が印籠から反魂丹を取り出し飲ませたところ、たちまち痛みは治まりました。
この光景を目の当たりにした諸国の藩主たちがその効き目に驚いて、閣僚内で薬を売り広めてくれるように正甫公にたのんだそうです。

セールスマンの育成と販売システムの先駆け

正甫公は領地から出て全国どこでも商売が出来る「多量商売禍って」を発行し、同時に富山城下の薬種商に薬を調合・製造させて是諸国を廻商させました。

商売は船用小売り先用後利(せんようこうり)「用を先に利を後にせよ」という正甫公の精神に従い厳しく、今で言うセールスマンを育成し各地に派遣しました。
このようにして現在のクレジットとリースを一緒にしたような「先用後利」の画期的置き薬の販売システムが誕生しました。

 

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