会社概要
店舗名 | 森田さんの生薬の力(森田の置き薬) |
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代表者 | 森田裕一 |
所在地 | 東京都練馬区西大泉4-3-50 |
電話番号 | 050-3619-1670 スマートフォンの方はタップすると発信できます。 |
営業時間 | 9時 ~ 17時 |
休業日 | 不定休 |
事業内容 | 医薬品配置販売 健康食品販売 |
問い合わせ | 問い合せフォーム |
ホームページ | https://shoyakunochikara.com/ |
主なお客様 | HONDA、トヨタ、第一生命 東武百貨店、西友、サンウェーブ、新堀芸術学院ほか |
代表あいさつ
こんにちは、森田さんの生薬の力(旧森田の置き薬広貫堂)代表の森田裕一です。
弊社は、富山県出身の私の父森田重雄が昭和29年に東京に出てきて修行後独立をして現在に至っています。
父は現在も現役でお得意様を訪問しております。
67年に渡りのべ20万軒以上ののお客様を訪問して参りました。
子供の頃は夏休みなど父に連れられて一緒にお得意様のお宅に訪問したこともあります。
私、森田裕一は学校卒業後、一般企業に就職後、平成4年から、父とともに置き薬の商売に関わっています。
父は30代の時に心臓弁膜症の診断を受け、生薬を使い元気で未だに元気に過ごせています。
母は更年期を生薬で乗り越えていました。
私は扁桃腺肥大で、よく高熱を出す、体が弱い子供でした。
医者から扁桃腺の手術を勧められ、予約をしたほど。
ところが、それがある生薬で治って、元気になった、と言う体験があります。
これは父が勉強をしてきて私に生薬の力を役立ててくれたことがあったのです。
これは子供の頃から父の仕事を見ている私にとっては、「自然の生薬の力」とはとても普通のことでした。
飲み方も自然に身につけていきました。
必要があれば、医師の医療も受けることもありますが、できるだけ予防をしたり酷くしないうちに治すと言ったことが身についていました。
それが仕事を始めてから始めて「ほかの方が経験をしてないことをやってるんだ」と言うことに気がついたんです。
また、父のあとにお客様のお宅を訪問するようになって、
「あなたのお父さんのおかけで今こうして元気でいるの」
「あなたのお父さんには色々教えてもらって助かってる」
などを聞いて、生薬の力のすごさ、置き薬の役目を感じることが出来ました。
徳川の時代から330年続く富山の置き薬は、ただお薬を売るのではなく安心安全をお届けしています。
お客様皆様が元気で毎日いきがいをもってすごせるようにお役立ていただければうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
プロフィール
1964年東京生まれ。
著者/“森田さんの生薬の力”代表。
神経言語学のプロ。
徳川の時代より330年続く富山の置き薬の伝承者として、従事30年のべ8万軒の家庭の訪問を果たす。
幼少の頃は体が弱く、すぐ熱を出し医者にかかりがちだった。
それで、父が富山の薬売りで、いろんなところで生薬の勉強をしてきて、生薬の活用し、強く健康的風邪を引かなくなったり、何かあってもすぐに元気になれるようになる。
信条は、「予防に勝る治療なし」。
NLPによる心のケアも
いろいろなお客様との対話から、健康には心と身体の関係も大切だと気づき、心理学に興味をもつ。
日本人第1号となるNLPメタマスター・プラクティショナーとなり、1998年よりNLPトレーナーとして、数多くの受講生を輩出。
NLP創始者リチャード・バンドラー博士が米国フロリダで開催するNLPトレーナートレーニングには、2003年よりアシスタントトレーナーとして参加。
受講生をサポートする。
またギタリストとしての経験から、音楽活動を活かしたリズミカルで楽しい、どんな人でも親しみやすいトレーニングには定評がある。
NLPプラクティショナーのの3大悩みを解決してしまうNLPノートトレーナー。
保有資格
- 認定医薬品登録販売者
- 日本ノートメソッド協会認定
- 方眼ノート認定トレーナー
- スーパーブレインメソッド認定インストラクター
- Focus Mapping初級・中級インストラクター
- 米国NLP協会認定NLPトレーナー
- NLPコーチングトレーナー
著書
森田重雄について
森田裕一の父で森田さんの生薬の力(森田の置き薬)創業者。
昭和11年富山県上市町生まれ。
自然の多い山育ち。医師の手伝いをしていた母親のもとで育つ。
幼少期、怪我をした際に自然の生薬の知恵を体験する。
東京に上京し親方について修行後、置き薬業に従事、後に独立。
森田の置き薬(現・森田さんの生薬の力)創業。
置き薬(医薬品配置販売業)従事65年。その間のべ25万軒の得意先を訪問。
2021年現在も現役で廻商中。
個々のお得意様の状況にあった生薬の使い方・飲み方を適切に説明し、お客様に安心してもらえるように心がけている。
妻・那津子は広貫堂・製薬工場に勤務していた。
平成4年より
裕一が資格を取得し、ともに医薬品配置販売業に従事。